2012 01 / 12 last month≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫02 next month
スポンサーサイト  --/--/--  


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消せます。
 | スポンサー広告  | Page Top↑


世界中に愛されるカルティエの歴史です

<1847年> 
師匠であったアドルフ・ピカールのアトリエをルイ・フランソワ・カルティエが譲り受け、開業となりカルティエの歴史が始まります。
<1874年> 
ルイ・フランソワ・カルティエは経営権を息子であるアルフレッドに譲ります。
<1898年> 
アルフレッドの長男ルイを共同経営者とし、共にスタートします。
<1904年> 
ルイ・フランソワ・カルティエが死去しました。この年はイギリス、スペイン国王の御用達となり、長男ルイは、ブラジルの富豪飛行家であるサントス・デュモンに腕時計を製作しました。
<1905年> 
ポルトガル王の御用達の店になります。
<1906年> 
3人兄弟の残りの一人であるジャックがロンドン店の経営者になります。ルイはこの年、腕時計トノーを製作します。
<1907年> 
ロシア皇帝の御用達の店となり、時計技術者であるエドモントジャガーと契約します。
<1908年> 
シャム国王御用達の店になります。
<1910年>
カルティエ&クリエーションロゴ2Cが誕生します。
<1911年>
飛行家であるサントス・デュモンに作成した、腕時計を原型に作られたサントス・デュモンが発表されます。
<1912年>
腕時計ベニュアール発表し、世界で初めてダイヤモンドのバケットカットを製作します。
バゲットはフランス語で棒を意味します。ダイヤで用いられる段状のカットは長方形の宝石でルイ・フランソワ・カルティエが創出しました。
<1913年>
セルビア国王の御用達の店となり、ミステリークロック第一号が作成されました。
<1914年>
オルレアン公の御用達の店となり、パンテールデザインが発表されます。
<1917年>
腕時計タンクが発表されました。
<1919年>
ベルギー国王の御用達の店になります。
<1921年>
英皇太子エドワード8世の御用達の店となり、腕時計タンクサントレが発表されました。
<1922年>
腕時計タンクシノワタンクアロンジェが発表されました。
<1928年>
腕時計タンクアギシェが発表されました。この腕時計は小窓で時間を見るデザインです。
<1929年>
エジプト国王の御用達の店になります。
<1932年>
腕時計タンクバスキュラントが発表されました。
<1936年>
腕時計タンクアシンメトリックが発表されました。
<1939年>
アルバニア国王の御用達の店になります
<1945年>
ピエール・カルティエカルティエ・ニューヨークカルティエ・パリの社長に就任します。
<1965年>
ピエール・カルティエが死去します。
<1967年>
ベニュアールクラッシュウォッチが発表されました。
<1968年>
カルティエ・ブランド初の収納式ローラー、オーバル型高級ライターが誕生します。
<1970年>
カルティエが香港にオープンします。
<1971年>
カルティエ・ミュンヘンがオープンします。
<1972年>
カルティエ・パリの社長にロベール・オックが就任します。
<1974年>
ボルドーシリーズである皮革製品が発表され、カルティエ東京店(レ・マスト・ドゥ・カルティエがOPENしました。
<1976年>
ヴェルメイユ腕時計が発表されました。
<1978年>
カルティエのスカーフコレクションが発表されました。
<1981年>
カルティエの香水マストとサントスが発表されました。
<1983年>
腕時計パンテールが発表され、アイウェアのマストやVLCも同時に発表されます。
<1985年>
防水腕時計にヒントをえたパシャが発表されました。
<1986年>
腕時計マスト21ヴァンテアンが発表されました。
<1987年>
メゾンドゥカルティエが発表されました。これはテーブルウエアのコレクションです。
<1988年>
紳士用アクセサリーのコレクションが発表されました。パーソナルラインです。
<1989年>
腕時計タンクアメリカンが発表されました。
<1990年>
ハンドバックパンテールが発表されました。
<1991年>
腕時計ディアボロが発表され、パンテール万年筆ジュエリーコレクションである、インドギャランも同時に発表されました。
<1992年>
腕時計ベニュアールコンビモデルカスクドールベルエポックミニパンテールが発表され、香水パシャも同時に発表されました。
<1993年>
腕時計クロノリフレックスムーブメントクーガーパシャディアボロが発表され、マスト・ウォッチエリプスリングを創作。そしてパステル調のクロコダイルミニ・パンテール・ドゥ・カルティエ・バッグを発表しました。
<1994年>
ジュエリーコレクションゴールドチャームナチュラが発表されます。
サントス・デュモン・ウォッチの90周年を記念して、限定版である、ピンクゴールドとプラチナを使用したサントス・デュモンを製作します。男性用レザーグッズコレクションではゴールド・オン・ブラックを発表しました。
<1996年>
腕時計のニューコレクション、パシャC、パシャタンクフランセーズを発表します。
<1997年>
ハッピーバースディドゥカルティエのコレクションが発表されます。腕時計トリニティータンクリングも同時に発表されました。
<1998年> 
腕時計サントスガルベが発表されます。
<1999年> 
腕時計パンテールリュバンコレクションプリヴェパリが発表されました。
<2000年> 
復活限定モデル、腕時計タンクバスキュラントが発表されました。
<2005年> 
カルティエ南青ブティックがオープンします。
日本国内では32店舗目となり、外観はダイヤモンドを連想させ、ブルーノ・モワナーがデザインしました。

カルティエの歴史の奥深さがよくわかると思います。
150年もの前から多くの国の御用達を務めたりと、
本当の意味で歴史あるすばらしいブランドだと改めて感心させられますね。

 |   | TB(0)  | CM(0) | Page Top↑


ブルーレイディスクとは

松下電器産業ソニーフィリップスといった日韓欧のメーカー9社が策定した次世代光ディスクの規格で、
現行DVD(4.7GB)に比べて約6倍の27GB(片面1層タイプ)と大幅な記録容量アップを実現します。



■DVDに比べて約6倍(片面一層タイプ)の大容量を実現

ブルーレイディスクの最大の特徴は2時間以上のデジタルハイビジョン放送をそのままの画質で記録できる大容量です。
さらに2層タイプ、4層タイプといった、記録層の多層化による一層の大容量化が進んでいます。



■ディスクの構造とカバー層

ブルーレイディスクは、使用するレーザー光が現行DVD(650nm)に対して405nmと短波長で、同時に開口数(NA)の高いレンズを使用することにより、
光スポットの面積を小さくし(面積比 約19%)、大容量記録を実現しています。
その際に、ディスクの反りや傾きに対しても安定的な動作をできるようにするためには、ディスク表面から記録層までの距離を短くすることが不可欠です。

DVDの0.6mm厚の板を2枚貼り合わせた構造に対して、1.1mm厚の基板の表面に、
0.1mm厚の薄い透明カバー層を形成するという構造をブルーレイディスクでは採用しています。

ブルーレイディスク大容量の次世代DVDとして注目を集めます。
当社の高品質な粘着フィルムが現行DVD(4.7GB)に比べて約6倍の27GB(片面1層タイプ)と大幅な記録容量アップを実現するこのブルーレイディスクの構成部材として役立っています。


ブルーレイディスク用カバー層シートの特長

・安定した厚み精度
 ±2マイクロメートル以下と非常に安定した厚み精度を実現しています。ディスクの内外周で厚みに差が生じやすい液状コート剤のスピンコートに比べ、膜厚精度の高いカバー層形成をできるようにします。
・ディスクの品質保持に貢献
 透明性や接着性、記録層部の"溝"への追従性に優れており、腐食性・耐侵食性の良好な粘着剤を使用しているので、ディスクの品質保持に貢献します。
・高い生産性
 あらかじめディスクの形にプリカットした粘着テープ状の製品で、ディスクの量産にも対応した高い生産効率を実現します。


■最後の波長「青紫色レーザー」
光の波長は、赤から紫へ向かうほどより短くなります。ブルーレイディスクに用いられる「青紫色レーザー」は光の原理から考えると可視光線の中では最後にあたる光の波長で、これより短い波長を使用すると、ディスクの原理そのものを変えなければならないと言われています。
つまり、ブルーレイディスクは家庭用光ディスクの最終形といえるのです。


■ディスク容量を決める要素
ディスクメディアにおける記録容量は、どのような要素で決まるのでしょうか。DVDもCDもブルーレイディスクも、面積は同じ12cmのディスクであるため、ほぼ同じ形状です。
同じ面積で記録量を増やすには、より密度を高くして記録しなければなりません。例えばここで、紙に鉛筆で文字を書きこむことを考えてみます。マス目のより細かな原稿用紙に、より、先のとがった鉛筆で書きこむと、一枚の原稿用紙に書きこめる文字の数、すなわち記録容量は増加します。
光ディスクで原稿用紙のマス目にあたるのが「トラックピッチ」といわれるものです。これに対し、筆記具はディスク上のレーザービームのスポットです。
この2つの要素を高めたのが、ブルーレイディスクです。


■約5倍の高密度記録
CDやDVDの赤い色のレーザー波長は650nm(ナノメートル)です。これに対し、ブルーレイディスクの青紫色のレーザー波長は405nmとさらに短波長です。
この青紫色レーザーを使用することにより、ビームスポットの微小化を実現しました。さらに、光を絞りこむ能力に優れた高い開口数(NA)のレンズを採用しています。
DVDの0.6を上回る0.85にまで光の密度を高め、トラックピッチをDVDの半分以下にしています。
ブルーレイディスクではこのように、短波長の青紫色レーザーを高開口数のレンズでギュッと絞り込むことにより、光スポット(焦点)面積を、DVDの約1/5にしています。
その結果、DVDの4.7GBに比べて約5倍にあたる25GBもの大容量記録を実現できるのです。


■1層25GB、2層50GBの大容量ディスク
BSデジタルハイビジョン放送の転送レートは最大24Mbpsです。このレートで送られてくるデジタルデータを、2時間連続で記録する場合に必要な容量は、およそ21.6GBです。
ブルーレイディスクの開発にあたっては、デジタルハイビジョン番組をそのまま2時間以上録画することが可能である、この21.6GB以上の容量を目指して開発されました。
その目標を超えて、ブルーレイディスクは単層で25GB、さらに記録面に独立層を設けた2層では50GBの容量を実現しました。DVDなら最大10枚分の記録をすることができるのです。
また、ディスクの記録面を多層化することにより、さらに大容量のディスク開発が進められています。


■信頼性を高める約0.1mmの保護層
ブルーレイディスクの厚さはCDやDVDと同じ1.2mmですが、記録層の位置が異なります。CDの記録層は、レーベル面に近い0.1mmの位置にあります。
CD-Rなどでレーベル面に書きこむ場合、先のとがったペンを使用しないように、と注意書きがあるのはこのためです。DVDでは、ちょうど真ん中の0.6mmです。
対してブルーレイディスクでは、レーザー光が当たる盤面側0.1mmの位置に記録層があります。
これは、ディスクの反りや傾きに対して、記録層がレンズから近いほうが、書きこみや読みだしエラーが少なくなるからです。


■54Mbps〜72Mbpsの高速転送レート
ブルーレイディスクは、54Mbps(BD-ROM)、72Mbps(BD-R2.0、BD-RE2.0)の高転送レートを実現しています。
転送レートとは、1秒あたりにメディアへの記録やメディアからの再生をデータ伝送する量のことです。この数値が高いほど扱うことのできる情報量は多くなります。
BSデジタルハイビジョン放送の転送レートは最大24Mbpsです。つまり、54Mbpsもしくは72Mbpsの転送レートを持つブルーレイディスクは、ハイビジョン映像に手を加えずに、余裕を持ってありのままの画質で録画・再生することが可能です。


■耐久性に優れたディスク
ブルーレイディスクは、きわめて高密度であるため、ディスク開発当初は記録面を保護するカートリッジ構造を採用していました。
しかし、ハードコーティングの開発が飛躍的に進み、指紋やキズに対して既存のメディアよりもはるかに強い耐久性を得ました。
ハードコーティングされたブルーレイディスクはカートリッジを必要とせず、CDやDVDと同様に使うことが可能になっています。


BLゲーム |   | TB(1)  | CM(0) | Page Top↑


今日はクリスマスプレゼントとしても超人気のアイテム、
ティファニーの歴史についてお話したいと思います。

<1812年>
ティファニーの創業者チャールズ・ルイス・ティファニーが誕生しました。

<1837年>
ニューヨークのブロードウェイ259番地に、装飾品と文房具の店、Tiffany&Youngをチャールズ・ルイス・ティファニーが、友人であるジョン・B・ヤングと共同で創設したのが歴史の始まりとなります。資本金はチャールズが父親から借りた1000ドルで、輸入骨董品やファンシーグッズを取り扱う小さなお店だったそうです。

<1840年>
世界で初めてとなる定価制度を導入します。

<1844年>
標準純銀法を制定します。銀の純度を92.5%に定める法のことをいいます。これは連邦法として現在も使用されています。

<1845年>
Tiffany,Young&Ellis社として、世界初のメールオーダーカタログを発行した年になります。ブルー・ブックとして現在も継承されている物です。ティファニー・ブルーはここから生まれ、この頃から水色のパッケージがケースなどにも使われるようになりました。

<1848年>
ヨーロッパの市民革命から逃れたフランスの貴族より宝石を格安で手に入れます。アメリカに渡った重要な最初の宝石として記録されます。これによりティファニーは、宝石商としてアメリカを代表する地位を確立することになりました。チャールズ・ルイス・ティファニーキング・オブ・ダイヤモンドとして多くの人々に知れ渡ります。

<1850年>
Tiffany,Reed & Co.社をパリに出店させます。

<1851年>
銀製品の製造を開始します。

<1853年>
共同経営者達からチャールズ・ルイス・ティファニーは経営権を買い取ります。
社名をTiffany & Co.と改称しブロードウェイ550番地に移転しました。

<1867年>
ティファニー社はパリ万国博覧会にて、アメリカ出品作として初の、銀器部門で優秀賞を獲得し、1871年にはオーデュボンを発表します。

<1873年>
ティファニー製の水差しがボストン美術館に所蔵されます。これはアメリカ製銀製品としては初めてのことです。

<1878年>
287.42カラットイエロー・ダイヤモンドの原石を、1万8千ドルで購入します。(南アフリカのキンバリーで発見された原石です)
ダイヤモンドのカットは、Dr.ジョージ・フレデリック・クンツ。
現在、このダイヤは5番街本店の入り口に、ティファニーダイヤモンドとして展示中です。

<1885年>
アメリカ合衆国の新しい印章デザインを製作します。このデザインは現在もアメリカの1ドル紙幣に使用されています。

<1886年>
6本の爪でダイヤモンドを支えるティファニー・セッティングを発表します。
現在ではあたりまえの方式ですが、このデザインはティファニー社が考案したものになります。
爪で隠れる部分を最小限にしたことで、カット技術が引き出した輝きが増し、横からも光をとり入れることができる為、
石を美しく見せることに成功しました

<1889年>
パリ万博では、チーフデザイナーであるポールディング・ファーンハムがジュエリー部門のゴールド・メダルを受賞します。
ヨーロッパに、アメリカの宝石商の実力を印象づけました。
その後、イギリス・ヴィクトリア女王の御用達店にアメリカの宝石商として初めて任命されます。
続いてイタリア、オーストリア、スペイン、ロシアなどヨーロッパ各国の王室御用達に任命されました。

<1902年>
創設者であるチャールズの息子、ルイス・ティファニーティファニー・アート・ジュエリーを設立します。
同年、チャールズは副社長のC・T・クックに今後を託して他界します。そして副社長のC・T・クックが社長に就任しました。

<1940年>
現在のニューヨーク五番街に店舗を移転させます。

<1950年>
ティファニーで朝食を、トルーマン・カポーティ著が出版され、1961年にはこの映画が公開されました。

<1952年>
パリ店を閉店

<1955年>
ウォルター・ホービングが3代目経営者になります。

<1967年>
ナショナルフットボールリーグが、ティファニーが製作したスーパーボールトロフィーを初採用します。

<1972年>
日本に進出し、日本橋三越ティファニーサロンがオープンしました。

<1986年>
第2次世界大戦後、閉店のままだったロンドン店をオープンさせます。

<1987年>
ニューヨーク証券取引所に上場し、同年、香水TIFFANYを発表がされました。

<1996年>
マイケル・J・コワルスキーが、社長に選出されました。

<1997年>
カスタマーサービスセンターがニュージャージー州にオープンしました。


ティファニーは、現在もたくさんの女性たちに愛され続けているブランドと言えるでしょう。
アクセサリー全般 |   | TB(0)  | CM(0) | Page Top↑

プロフィール

ブログ内検索

タグ

RSSフィード

By FC2ブログ